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教科書よりやさしい?史跡紹介:下関もろもろ

1月に行った旅行の記録ですがまだ続くんじゃよ!

山口県の下関と言えば、
高杉晋作好きにはいろいろ欠かせない場所なのですが
学校で習う日本史に限ってしまうと、
幕末の四国艦隊下関砲撃事件とか
日清戦争の講和条約である下関条約とかの方が
有名なのですよね……。

そして源平合戦の最後、壇ノ浦の戦いも下関なのでした。

そんなわけで有名どころをまずお伝えしようかと思います。





1185年に行われた壇ノ浦の戦いは、
源氏と平氏の最後の合戦になります。
その古戦場となった海域に臨むみもすそ川公園に、
源義経と平知盛の銅像などがあります。


……「なんで写真がぼやけてるんだよ!」と言いますと、
スケジュールの都合上、この公園に直に足を運ぶ予定が組めず、
バスの中から通り過ぎる時に撮影したものだったりします……。
……申し訳ありません……。

ちなみに左側が源義経、右側が平知盛(清盛の四男)、みたいです。


こちらは壇ノ浦の戦いで海に身を投げた
安徳天皇を祀る赤間神宮。


こっちはちゃんと足を運びました!

平清盛は平安時代の藤原氏同様、外戚政策をとり、
自分の娘(平徳子・建礼門院)を高倉天皇の中宮とし、
その間に生まれた子供を1180年、わずか3歳で天皇に即位させました。
この天皇が安徳天皇です。

1185年の壇ノ浦の戦いの時は8歳で、
祖母(平清盛の妻、平時子)に抱かれて入水したとされています。
『平家物語』などでも有名な場面ですよね。

あと、赤間神宮は怪談の『耳なし芳一』の舞台でもあります。

来年の大河ドラマは平清盛、ということですが、
1181年に清盛が亡くなった後も、
壇ノ浦の戦いまでやるような話を聞いた記憶があります。

とすると、少し前の大河『義経』に引き続き、
来年も観光地として盛り上がるかもしれませんね。






……幕末以前の下関の歴史、といえば、実は
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われた巌流島もあるのですが、
こちらもスケジュールの都合で割愛したのでした……。


1日2日じゃ回りきれない歴史ある街なのです、下関。
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ありんこ(編集担当) * 史跡紹介 * 19:31 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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